2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』
主人公・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)は実は幕府から処罰を受けていました。
江戸時代のヒットメーカーであり、メディア王と呼ばれた蔦屋重三郎は一体何をしたのか?
今回はこの内容を紹介します。
蔦屋重三郎って極悪人だったの?
そんな感じでも無さそうですよ
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蔦屋重三郎が処罰を受けた理由
松平定信が行った「寛政の改革」により
浮世絵など娯楽を含む出版物の規制も厳しくなりました。
これにより蔦屋重三郎は財産の半分を没収されるという処罰を受けることになります。
半分か
…
……
半分!?!?!?
蔦屋重三郎ほどのやり手だと
さぞかし多くの財産を持っていたでしょう
山東京伝と作った洒落本「黄表紙」が取り締まりの対象となりました。
黄表紙の中身は、当時の吉原遊郭内の様子をあからさまに描写しており、これが原因と言われています。
「寛政の改革」では、みだらなことや異説が書かれた本は厳重に取り締まると定められたためです。
この処罰は見せしめ的な意味合いが大きかったと言われています。
完全にとばっちりだ
寛政の改革とは
みんなで質素倹約!節約してこーぜ!
という内容です。
幕府財政の悪化や社会不安の拡大を背景に、徳川幕府の安定化を図るために実施されました。
① 囲米の制
大名たちに対して、 無駄遣いを減らして米を蓄えておくように指示しました。
無駄遣いはもちろんやらない方がいいですし
②朱子学以外の学問の禁止
道徳が欠けていると判断した松平定信は朱子学以外の学問を禁止しました。
朱子学というのは、簡単に言えば上下関係をしっかりして、秩序を保とう
というものです。
蔦屋重三郎って何をした人なの?
蔦屋重三郎は江戸時代後期の有名な版元です。
版元という言葉は聞き慣れないと思いますが、当時の出版社のようなものです。
しかし、版元は単に本を印刷するだけでなく、作家を発掘し、作品を世に送り出すプロデューサーとしての役割も担っていました。
蔦屋重三郎がなぜこんなにも名が知れ渡ったかというと、浮世絵や洒落本の出版です。
皆さんも聞いたことがある
喜多川歌麿や東洲斎写楽が書いた浮世絵も
この蔦屋重三郎がプロデュースしたものです。
まとめ:蔦屋重三郎は寛政の改革の被害者だった!
今回は蔦屋重三郎が処罰を受けた理由などについて紹介しました。
今まで江戸の街で親しまれていた書物が
いきなり規制をかけられて、処罰まで受けてしまうとは
不遇でしか有りません。
この事件も、2025年の大河ドラマで放送されると思うので
要チェックですね!
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