江戸のメディア王として知られる蔦屋重三郎と
有名な浮世絵師の葛飾北斎
実はこの二人には意外な関係性がありました。
今回はこの蔦屋重三郎と葛飾北斎の関係について紹介したいと思います。
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蔦屋重三郎と葛飾北斎の関係とは?
葛飾北斎は、蔦屋重三郎が創設した「耕書堂」で黄表紙などの本を制作していました。
耕書堂とは、蔦屋重三郎を番頭にした初めての本屋のようなものです。
葛飾北斎は蔦屋重三郎の死後、二代目番頭のもとで、働いていました。
葛飾北斎は何をした人?
葛飾北斎(かつしかほくさい)は江戸時代後期に活躍した浮世絵師です。
現在の東京都墨田区に生まれ、幼い頃から絵を描いていました。
十代も終盤に差し掛かった頃、人気浮世絵師・勝川春章に入門し、絵師となりました。
皆さんも一度は目にしたことがあると思いますが、代表作が「富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」という浮世絵版画です。
特に有名なのが、「波の絵(波間の富士)」こと「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」と、「赤富士」こと「凱風快晴(がいふうかいせい)」の2図ではないでしょうか?
葛飾北斎は何がすごいのか?
葛飾北斎の代表作「富嶽三十六景」は世界的に最も有名な浮世絵作品ですが、遠近法や配色など、これまでの浮世絵とは異なった表現を生み出しました。
ゴッホなどの西洋の画家たちにも大きな影響を与えたと言われています。
また、浮世絵のような作品だけでなく、漫画、中国画、西洋画などの多くの手法を使って作品を描きました。
さらには、90歳で亡くなる直前まで筆を握り、生涯現役を貫きました。
90歳までも探究心を忘れずに絵を描き続けるとは驚きしかないです。
自分はそこまで、自分の仕事に熱くなったことがないので見習わないとです…
まとめ
この記事では、二人の関係性や、北斎のすごさについて、紹介しました。
蔦屋重三郎と葛飾北斎の二人によって、日本の浮世絵は世界的な芸術として開花しました。
重三郎の人を見る目と、北斎の天才的な才能が結びつき、数々の名作が誕生したのです。
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